技術は人を変えるか
仮説ということで、自分のネットを始めた頃からの、疑問を書いてみたくなりました。
技術が世界を変える。
そう主張されている人たちの発言を否定するつもりがあるわけではないのですが。
今取り合えず、結論めいているものは、結論と言うか確信したことですが。
技術は、人を変える強い力を持っている。そのことに誰が、反論できるでしょう。
しかし、技術が人を変えるという言葉は短い言葉ではあるものの、その言葉を使う人の数だけその意味が変わるようです。
そして、この短い言葉が省略した、細かい事情は、その本人の中に深く根付いている確信にあって、それが表面化するには、時間がかかるようです。
そこで、思うに、技術が人を変えると言う言葉は、全て条件付で言えるものだろうと、感じました。
技術にも変えられない人の業がある。
技術と言う言葉に、本質という言葉はつき物なので、業(ごう)と言う言葉を使ったほうが正確だと思いました。
たとえば、技術の無限の可能性を信じているgoogleであっても、その無限の可能性というものは、科学技術という枠の中でという条件が付くように。
ただ、科学技術が世の塩であったことはこれまでの所、一度もないようなので、そういう意味で、きちんとそれを聞いとかないと、(聞き漏らさないようにしないと)勘違いしてしまいそうになります。
人の未来は明るいなどと。
技術に人の業を変える力はない。
技術は人を傲慢にする力は、雄弁に持っているけど、人を謙虚にする力を持たない。
職人の人格形成話で、技術が人を育てると言うことは大いにあり得ると思いますが。
このことを実証する機会はこれから佃煮に出来るくらいあるでしょうから、ぼちぼち書いていけたらいいな、なんて思いますw
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