小林秀雄について書くということ

私は自分の中にある、この人を描こうとしていました。

この人について書くことが自分を語ることだったからです。
小林秀雄という人は多くの興味を抱いた作品が語る沈黙する力に口を割らせようと努力した。

多くの芸術家がその造形物を作る上で込めた想いと対話しようとした。

それは、語ろうとするよりも、聞こう、見ようとする態度だった。 その作品が語る、その印象が語る正確な唯一の想いを聞こうとする、作品の受け手としての誠実な態度であった。

それが近代批評を確立したと呼ばれる人の唯一の方法だった。
その誠実さは彼の全作品中の根底をなしていた。

その誠実さ故に彼が語る言葉は多くの人の胸を締め付けた。
彼の名を知る知識人は多いでしょう。しかし、彼が信じた沈黙する力を彼と同じく忍耐を以て信じた人は決して多くはいない。


私が彼について書くということは彼の方法論を出ることは出来ない。


私もまた彼に倣って、彼がしようとしたことを黙って聞き入った。

それが、多くの彼に関する解説書よりも彼に近づく唯一の最も確かな道だから。

私が彼について書くのは彼が語ったことだけではない。彼の曰く言い難い言葉をその聞いたがままに書くことだけです。


「悟性が自然の必然的法則しか見ないところに、感情は運命の人に出会う。」(政治と文学)