小林秀雄という名のビジネス

彼の名を借りてこのブログを始めています。

少しずつ、ネットでのコミュニケーションというものが見えて来て、思った所を書いていこうと思います。

タイトルを「小林秀雄という名のビジネス」としたのは私が今インターネットで喜ばれる力を付けたいと考えて、今書きたいことを書ける所まで書いてみたいからです。

彼の著作について、ご存知の方も多く、その一つ一つに関して触れていきたいという気持ちもありますが、それは今横において置きます。

私が今書きたいのは彼の生活が同時代の人に与えたその具体的な力を見てみることです。

彼は自分の意見や議論に重きを置かない。

谷沢永一さんはその事に不満なようだが、文筆家がそのような結論を放棄するような態度に鼻を摘んでいるようです。

山本七平さんが小林秀雄に倣って上手く行かなかったのも、どうやらその事に躓いたものらしい。

小林秀雄の流儀」にも書かれているが、彼が重んじたのは、その文章の「語勢」です。

「語勢」とは一気呵成に書かれた作者の個性が秘められた精神のある形だと言えます。

本居宣長が重んじたのもそれであった。
小林秀雄さんが著書「本居宣長」で忍耐をもって描いているのも、宣長の「語勢」を重んじようとする深い確信であった。

宣長が成し遂げた仕事は古事記伝であり、古事記とは「本居宣長」によれば、天武天皇が直観した漢字文化が押し寄せた際の上古代から連綿と続く生活の生き生きとした実態の生滅に関する危機感から生じた、その実態の漢字に拠る記録です。

小林秀雄の仕事には福沢諭吉がかつて「学問のすすめ」の中で指摘した「一身にして二生を経る」という体験の切実な一つの動かし難い文明衝突の混沌の中で洗い出された告白、その真摯さが産む名状し難い沈黙の力が、同時代を越えて、彼の仕事の中に秘められていた。

彼の全作品の根底には例外なく、それが秘められており、それは彼の語勢を信じた人の間でしか、見えないものだった。
それが忙しい同時代のジャーナリストの目には移りにくいものだったが、それは変化の加速する現在もまた、見えやすい類のものではなかった。

そこにまた、現在に生活を送る人たちに対して、彼の作品が注意を引きつける力の裏付けがある。

今回はそうとだけ言ってみました。あともう一点ほど、今回の更新を受けて書いてみたいものがあります。