劇的な発展を続ける技術に関して。
アラン・ケイによれば未来についてよく知りたければ、未来を創造するしかない。
しかし、どうしても私にはそれが不安でならない。何故だったか。
未来に過去を見る以外に方法はない。私の言葉は錯乱しているか。
今創造されているものが陳腐化される前に既存のものとして見るということだ。
そうすれば、たとえどんな破壊が起ころうとも動じることを最小限に抑えることができるのではないか。
現在最も不足しているのは、ネットへの理解ではない。
あらゆる劇的な可能性への賛美ではなく、哲学の共有。
技術によって世界が一つに繋がる。そうなった時の不安に言葉を詰まらせてばかりでは埒があかない。
ユーザーの可能性が広がったなら、たった一つの必要がそこにある。
私たちがどうありたいかへの哲学。
その真剣さ、意識の共有。
それが必要なのではないだろうか。