売名批判への言い分

著作権の侵害だ!」
という言葉は、少なくはない表現者に対して、強い威嚇になると同時に、名誉毀損にもなりかねないリスキーな批判だ。


しかし私にとって一番厄介かと考えられるのは「売名」という批判である。その言葉は表現者に親しい囁かな喜びを容易に抹殺する。


関西で言うと「イキリ」であろうか。
「何を粋がっているのか」そう誰かに言われたら、もうアウトだ。何も言えないし、何も出来ない。私のこの言葉に対する恐怖はこの「イキ」という言葉から「息」となり、死を命じられた気になる。

「生きんな」とも響く。「息するな。」とも。とにかくそう言われたらもうおしまいだ。



売名批判はこの言葉を熟語に変えたものか。




表現して間もない者に対して、この言葉が容赦なく向けられる時、この新しい芽を摘み取るのにどんな苦労もいらない。

私は長くその言葉への応答を見つけ出せずにいた。そして漸く、見つけ出して安心した。




「私が囁かにでも、力を尽くし、心を砕き、人前に於いて何かをするとしたら、それは父の名を背負う為だ。私の行いが悪ければ父の名は辱められ、私の行いが良いものから出ているなら、父の名は高められる。私が力を尽くして何かに取り組む時、私の頭の中には虚栄心を笑う声が付きまとい、その為にいつも阻害された。売名批判と虚栄心はよく似ている。その言葉を語る者は何かしら正しさに満たされた人のように映る。だが、その言葉を語る者を満たしているのは、虚栄心のみか。」



虚栄心を満たす為に売名批判をしたければするといい。


だけど、今人とのつながりの中に於いて囁かにでも、力を尽くそうとしている人の心を砕くのは良くない。