現在
全く何という時代なのか。
いつの世にあっても私たちの溜め息は変わらない。
私たちは言う。この低賃金で、どこまで働き尽くさないといけないのか。
一方で、私たちは無料のサービスを喜び、ネットというコミュニティに置いて、その過剰な情報量に満足出来ないでいる。
この格差社会は私たちの喜びの結晶。
自らへの報酬の低さを叫びながら、私たちは無料のサービスに嬉嬉とする。
この格差を喜びまた憎んでいるのは、ネットの誕生を誇り、その存在によって知的に高くなったはずの私たち。
決してこの困難は私たちの外から出ようとしない。
それはいつも私たちの中にあるから。
国を、時代を、世代を、人を憎む前にどうも、目を置かないといけないものがある。
答えを、形を急いで示さないといけないのは、現状、力のある人だけではなく、現状、力のない人ではなかったか。
それはいつの日も変わらない私たちの務め。
腰に帯して立たないと、どうやらまずそうだ。